「イエスの生涯」
遠藤周作/新潮文庫

「彼女は何も言わなかった。何も言わずイエスを見つめただけだった。やがてその目から泪が溢れでた。その泪だけで今日までの自分の哀しみを訴えた。(中略)その泪でイエスは全てを知られた。この女が半生、人々から蔑まれ、自分で自分の惨めさを噛みしめたかも理解された。その泪で充分だった。神がこの女を悦んで迎え入れるには、それで充分だった。『もう、それでいい。わたしは……あなたの哀しみを知っている』」(p.57)

「多く愛するものは 多く許さるる」(p.58)

「長血という不治の病にかかった女がその苦しさのあまり、イエスを見るために集まった群衆のかげにかくれ、その衣服におずおずと指を触れてみる。女にとっては、藁をもつかむ気持ちだったのだろう。おずおずと触れた指でイエスは彼女の今日までの苦しさをすべて、その藁をもつかみたい気持ちを感じ取る。『誰かが、私の服にふれた』と彼は弟子をふりかえる。弟子たちは笑いながら答えた。『これだけ、おびただしい人がいるのです。ぶつかるのも仕方がありますまい』『いや、そうではない』イエスは首をふられた。『誰かが私の衣服にふれたのだ』」(p.58〜59)

「だがこの時、彼はもう一つのことも知っておられた。現実における愛の無力さということである。(中略)だが愛は現実世界での効果とは直接には関係のない行為なのだ。それにイエスの苦しみが生まれた。『汝らは徴と奇蹟を見ざれば信ぜず』と彼は哀しげにその時呟かれたのである(ヨハネ、四ノ四十八)」(p.60)

「これら誤解の渦のなかでイエスの布教ははじまった。彼はかくもおびただしい群衆に囲まれながら、自分がいかに誤解されているかをその悲しみのうちで知っておられた。なぜなら、イエスはただひとつのこと――愛の神をこの現実の上に証明すること――しか考えなかったからである。彼が闘わねばならぬものは、ひょっとすると、自分を取り囲み、訴えと期待の眼差しを向けてくるこれら無数の男女だったのかもしれぬ。イエスは弟子たちのなかでさえも孤独だったのである」(p.63)

「おびただしい群衆がイエスを山で囲んだ。ヨハネはこの出来事の直後にこういう簡単だが(他の福音書が絶対、書かなかった)驚くべき言葉をしるしている。『イエスは人々のまさに、己を捕えて王(メシヤ)となさんとすることを知り、独り山に逃げたまへり』」(p.77)

「『だから、わたしは、皆にこう言いたい』と、イエスは言葉をついだ。『敵を愛そう。あなたを憎む人に恵もう。あなたを呪う人も祝そう。あなたを讒する人のためにも祈ろう。右の頬を打たれれば左の頬を差し出そう。上着を奪う人には下着も拒まぬようにしよう』このような愛の教えを、人々はかつていかなる律法学者からも祭司からも聞いたことはなかった。洗者ヨハネもふくめて、いかなる預言者もこのような愛を説きはしなかった。この愛の原理は律法についての法文重視とは真向から対立するものである。それは人間には不可能な全身的な誠実、純粋、真実、自己否定を求めるものだった。『すべてをあなたに求むる人に与えよう。あなたの物を奪う人から取り戻さないようにしよう。他人にしてもらいたいことを、そのまま他人にしてみよう。自分を愛する人を愛するのはやさしいことなのだ。自分に恵む人に恵むことはやさしことなのだ。しかし敵をも愛し、報いをのぞまず恵むこと……それが最も高い者の子のすることではないか。許すこと……与えること……』それは人々がこれまで耳にした知恵の書の用心深い人生処世術やパリサイ派の戒律とはまったくちがったものだった。おそらく人間にははなすことの不可能な愛の呼びかけだったのである」(p.80〜 81)

「彼は愛の神と神の愛だけを説いたのに、それに耳傾けたのはごく少数の者に過ぎなかった。弟子たちでさえ、彼の語っていることの真意を理解してくれなかった。弟子も民衆も「愛」ではなく、現実的なものしか彼に求めてこなかった。盲人たちは眼の開くことだけを、跛は足の動くことだけを、癩者は膿の出る傷口のふさぐことだけを要求してくるのだった」(p84)

「イエスはこうした病人や不具者を見棄てられはしなかった。むしろ、弟子たちと共に、人々が忌み嫌う癩者たちの谷も訪れ、マラリヤに苦しむ男の小屋もたずねていかれたことが聖書にはっきり書いてある。当時癩者たちは頭の毛をそり、特別な服を着て、町や村から離れた場所に住まわされた人がそこに近づくと、彼等は警告の声をあげる。棄てられた彼等の住む山かげや谷をイエスは歩かれた」(p85)

「『汝等は徴と奇蹟を見ざれば信ぜず』(ヨハネ、四ノ四十八)」
「湖畔の村々で彼がその人生を横切った数知れぬ不幸な人々。至るところに人間の惨めさが詰まっていた村々。その村や住人は彼にとって人間全体にほかならなかった。そしてそれら不幸な彼等の永遠の同伴者になるにはどうしたらいいのか。『神の愛』を証するためには彼等をあの孤独と諦めの世界からつれ出さねばならぬ。イエスは、人間にとって一番辛いものは貧しさや病気ではなく、それら貧しさや病気が生む孤独と絶望のほうだと知っておられたのである」(p95)

「『わたしは自分について(預言者の書に)書いてあるとおりに去っていく』(中略)
イザヤ書の『苦難の僕』の歌を思い出せと言われる。

 彼は卑しめられて 人に棄てられ 悩みを知り 悲哀の人であった
 人が顔をそむけるまでに卑しめられ われらも彼を心にとめなかった

 げにもよ 彼はわれらが悩みを負い われらの悲しみを背負ったのだ
 しかるにわれらは思った 彼は打たれ 神にたたかれ 苦しめられたのだ と

 彼こそわれらの不義のために傷つけられ われらの咎のために砕かれた
 懲罰は彼に下って われらに平安をもたらし
 彼の傷によって われらは医された(いやされた)

 彼はぶたれても じっと忍び その口を開かなかった
 屠り場にひかれる仔羊のように 毛を切る前の雌羊のように
 だまって 口を開かなかった

 過酷な裁きによって彼は取り去られた その運命の転換を誰が思ったか
 彼が生ける者の地から断たれ わか民の罪過のために死に渡された時

 人はその墓を不虔な者と共にし その塚を悪人とひとしくした

 彼は暴虐を行わず その口に偽りすらなかったが
(イザヤ書、五十三、関根正雄氏訳)」(p100-102)

「おそらくイエスは驢馬にものらず、ひそかにこの都に死を決意して入ったのかも知れぬ。だがイエスの死後、イエスを忘れることのできぬ人々はこのエルサレム入場の場面をゼカリヤ書九章九節の言葉に即して、救い主の姿をあらわす画面として華やかに描きたかったのである。彼等はイエスの無惨な死を目撃し、救い主ともある方がなぜ無惨な死にざまをされたかという問題と対決せねばならなかった。その彼等の苦悩がこういう場面を創らせた」(p130)

「永遠に人間の同伴者となるため、愛の神の存在証明をするために自分がもっとも惨めな形で死なねばならなかった。人間の味わうすべての悲しみや苦しみを味わわねばならなかった。もしそうでなければ、彼は人間の悲しみや苦しみを分かち合うことができぬからである。人間に向かって、ごらん、わたしがそばにいる、わたしもあなたと同じように、いや、あなた以上に苦しんだのだ、と言えぬからである。人間にむかって、あなたの悲しみは私にはわかる、なぜなら私もそれを味わったからと言えぬからである」(p154)

「『主よ、彼等を許したまえ。彼等はそのなせることを知らざればなり』イエスの乾いた唇からやがて洩れた言葉はこれだった。日本人の我々にはおそらく嫌味に聞こえるかもしれぬこの言葉の翻訳は拙劣さのゆえにイエスの素直な気持ちを素直に伝えてはおらぬ。イエスは『愛のなかった』人間たちをここで必死にかばおうとする。彼等は『愛がない』のではない。愛の出し方が下手なのです。愛が何かをまだよく掴んでいないのです。この句はそういう意味なのだ」(p181)

「彼等がこの時、一番、恐れたのは十字架上での師の怒りであり呪詛だった。自分を見棄て、裏切った弟子に対して師が神の罰を求めることだった。だからイエスが十字架上で何を言うか――、これを弟子たちはただならぬ恐怖と悔いとで待っていた。現代の我々でさえ臨終にある者の最後の言葉は尊重する。まして当時のユダヤのように処刑される者が瀕死の状態で人々に語りかける習慣のあった地方では、遺言ほど重みあるものはなかったからである。イエスは何を語るだろうか。彼等は待っていた。そして遂にその日の午後イエスの最後の言葉を知ったとき、それは彼等の想像を越えたものであった。『主よ、彼等を許したまえ。彼等はそのなせることを知らざればなり……』『主よ、主よ。なんぞ我を見棄てたまうや』『主よ、すべてを御手に委ねたてまつる』十字架上での三つの叫び――この三つの叫びは弟子達に烈しい衝撃を与えた」(p211〜212)

「イエスは弟子たちに、怒りの言葉をひとつさえ口に出さなかった。彼等の上に神の怒りのおりることを求めもしなかった。罰を求めるどころか、弟子たちの救いを神に願った。そういうことがありえるとは、弟子たちには考えられなかった。だが考えられぬことをイエスはたしかに言ったのである。十字架上の烈しい苦痛と混濁した意識のなかで、なお自分を見棄て裏切った者を愛そうと必死の努力を続けたイエス。そういうイエスを弟子たちは初めて知ったのである」(p212)

「こんな人を弟子たちはかつて知らなかった。同時代の預言者は多かったが、こんな呟きを残しつつ、息絶えた者はなかった。過去の預言者たちにもこれほどの愛とこれほどへの神への信頼を持った人はいなかった」(p212〜213)

「そしてまた、彼等は自分たちがイエスをどのように誤解していたかも悟った。現実には力のなかったイエス。奇蹟など行えなかったイエス。そのため、やがては群衆から追われ、多くの弟子さえも離れていった無力だった師。だが奇蹟や現実の効果などよりも、もっと高く、もっと永遠であるものが何であるかを、この時、彼等はおぼろげながら会得したのである。彼等はその時、イザヤ書の五十三章をたしかに思いだしただろう」(p213)

「その人には見るべき姿も、威厳も、慕うべき美しさもなかった。 侮られ、棄てられた。
 その人は哀しみの人だった。病を知っていた。 忌み嫌われるもののように蔑まれた。 誰も彼を尊ばなかった。
 まことその人は我々の病を負い 我々の哀しみを担った……」(p213-214)

「彼等は生きていたときのあの人の顔や姿を思いうかべた。疲れてくぼんだ眼。そのくぼんだ眼に哀しげな光がさす。くぼんだ眼が微笑するときは素直な純な光が宿る。何もできなかった人。この世では無力だった人。痩せて、小さかった。彼はただ他の人たちが苦しんでいるとき、それを決して見棄てなかっただけだ。女たちが泣いている時、そのそばにいた。老人が孤独の時、彼の傍にじっと腰掛けていた。奇蹟など行わなかったが、奇蹟よりもっとも深い愛がそのくぼんだ眼に溢れていた。そして自分を見棄てた者、自分を裏切った者に恨みの言葉ひとつ口にしなかった。にもかかわらず、彼は『哀しみの人』であり、自分たちの救いだけを祈ってくれた。イエスの生涯はたったそれだけだった。それは白い紙にかかれたたった一文字のように簡単で明瞭だった。簡単で明瞭すぎたから、誰にも分からず、誰にもできなかったのだ」(p215)

「『もし、あの時、私が別の境遇にあったなら洗礼も受けなかったろうし、また生涯、この基督教などという縁遠い洋服など着なかっただろうと私はしばしば悩んだ。だがその時でさえ、私はその洋服を結局はぬぎ棄てられなかった。私には愛する者が私のためにくれた服を自分に確信と自信が持てる前にぬぎ棄てることはとてもできなかった。それが少年時代から青年時代にかけて私をともかく支えた一つの柱となった』」(p227・解説より)

+++ もどる +++